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NPO法人エコ・ギア
玉柏北方の津山線 <玉柏―牧山間> 岩石崩落について

 

濡 木 輝 一 (顧問:地質学)

目次    (1) 3月18日・30日の調査  /   (2) 6月9日の調査  /   (3) 9月10日の調査



 (1) 3月18日・30日の調査

 2005年2月26日にJR津山線 玉柏−牧山間 で岩石と土砂の崩落があり、津山線とその下側の旭川沿いの2車線道路(県道?)が一時不通になったが、3月中旬頃、上記の復旧作業が一応終わって通行可能になったので、3月18日に現場を検分した。3・4人の工夫さんたちが作業をしていたが、一般人の現場立ち入りは出来ず、下から遠望、観察した。
 3月30日に再び現地を訪ねた。先日と同様、工夫さん達が働いていたが、工事の目立った進展は認められなかった。今度は道路にガードマンがいて、私から離れず、写真撮影も難しい環境だった(彼が撮影を禁止したのではないが「新聞社の方か、写真はあまり・・・」などと気にするので遠慮した)。一見したところ、現場は前回と何の変化もない印象だった。

 以下は私の個人的な概報である。結論的には、現場の復旧内容は安全には遠く、むしろ、この状況下で通行の許可をだした根拠はどこにあったのか、大いに疑問に感じた。
運悪く犠牲者が出てきた時、誰が責任を取ってくれるのだろうか。さらに根本的な、より安全な状態に修復してから、通行に踏み切るべきではなかったか。


 1:崩落現場付近の状況    調査写真 1〜4
 現場付近は旭川が大きく西へ曲がる位置のわずか下流で、川の西岸沿いに2車線道路が、さらに山際に津山線が並走している(地図)。崩落は津山線の山際の側壁で起こり、津山線と道路の間の石垣は安泰である。崩落現場を含む南北200m位の範囲は玉柏−牧山間で最も地形が険しく、掘削した岩盤が広く露出しており、旭川は直接岩盤を削って流れている。崩壊現場から200m位南側に山陽自動車道の高架があり、高架は津山線に直角に斜交する方向で、津山線の10数m上を跨いでトンネルに入る(写真1)
 崩壊現場のすぐ南側は岩盤が川へ最も張り出した部分で、2車線道路は約30m位のトンネルで岩盤を貫く(写真2)。この自動車道のトンネルはこのたびの崩落の影響を全く受けていない。トンネル付近の山の尾根筋の傾斜は平均30°〜35°位であろう。このトンネル前後の山側には鉛直に近い石垣で掘削面が補強されている(写真2〜4、 3・4はトンネル北側)。道路沿いに岩石が露出しており(写真4)、簡単な岩石調査ができる。
 トンネルのすぐ北側の直下の川に3t〜数t(?)の岩塊が3・4個落ちている(写真3)。
旭川の西岸沿いの玉柏−牧山間で川に崩落した岩塊が見られるのはここだけである。岩塊の見かけはあまり古くないので、いつ頃崩落したものかは判らないにしても、道路や津山線の開設時の工事の際に外されたか、それ以後に崩落したか、どちらかであろう。
 トンネルのさらに北側(約100m)の、道路がカーブする付近から、2車線道路の山側に岩石の露出がなくなり、同時に山の斜面もかなり緩やかに凹む(写真4)。
 結局、崩落現場を含む南北150〜200m前後の山際の斜面は、その昔、岩盤を掘削して道路や線路を施設した際に、新しく人工的に作られた地山であり、もともと、時々岩塊の崩落する不安定な斜面であったろうと予想される。


 2:現場付近の地質
 現場付近の地質は単純で、砂質岩ホルンフェルスと石英閃緑岩が僅かに露出するのみである。(地図参照:黄色=砂質岩ホルンフェルス、赤色=石英閃緑岩)。これらの岩石は対岸の林原-牟佐付近に広く分布する岩石と一連のものである。現場付近の地形は斜面をなす岩石の種類(=風化の程度)と密接に関係している。
 一般に、砂質岩にしばしば泥が挟まれるので、泥質部分と砂質部分が成層して、岩石は成層面に平行に割れやすい性質がある。砂質部分が多くなるほど岩石は塊状になり、成層構造がなくなるので、特定の方向に割れにくくなる。しかし、ホルンフェルスに変わる時に、岩石は化学反応によって脱水され、新しい鉱物が作られるので、更に硬くなる一方で、強い衝撃が加えられると、一般に、簡単に割れるようになる。ホルンフェルスの内部にひび割れが出来ると、割れの方向が全く不規則なので大変始末が悪い。(ホルンフェルスの語源は、泥質岩が変化した岩石に専ら使用されていたが、現在は使用範囲が広がり、厳密ではなくなった。”牛の角(のように割れる)石”という意味である。)
 線路沿いの岩石を見ていないので詳しい事は判らないが、この付近の地質を予想すると、崩落現場付近に石英閃緑岩が露出する可能性は少なく、露出しているのは砂質岩ホルンフェルスのみで、従って、崩落した岩塊はすべて砂質岩ホルンフェルスであろう。石英閃緑岩は鉄道レベルの4〜5m下を潜り、北方の凹んだ斜面に露出する(地図参照)。砂質岩ホルンフェルスは風化に抵抗し、石英閃緑岩は風化しやすい性質がある。そこで、崩落現場の北方で見られる凹んだ谷地形は石英閃緑岩の風化浸食が進んだ結果である。
 また、下の道路の側面には崩落を誘いそうな、あるいは、誘った可能性のある断層は見当たらず、このたびの崩落は断層に沿う崩落ではないであろう。恐らく、鉄道の掘削工事の際に岩石の中のひび割れが増加・発展し、その後歪みが永年蓄積されて、ひび割れが少しずつ開き、遂に崩落したのであろう。しかし、崩落現場の露出を見ても明らかなように、この付近の岩石は、もともと、色々な規模のひび割れを内臓しているので、少々掘削してもひび割れから免れるのは難しいであろう。
現在の露出面で見られるひび割れの特徴は後で説明する。


 3:現場の状況    調査写真 5〜9
 崩落現場の状況を(写真5〜9)に示した。いづれも遠望で、露出面の詳細が判らないのは残念である。A,B,C,Dの各部分がこのたびの崩落に関係している。
 Aの場所の岩塊が2月に崩落し、下の緑色の防護壁を突き破り(現在,防護壁の一部が欠落)、津山線を覆ったのは明らかであるが、B,C,Dの場所の岩塊の一部がAと同時に、あるいは、前後して崩落したのか、あるいは、これらはかなり以前から露出したままなのか、私は知らない。遠望したところ、上の各部分の露出面の見かけの古さは同じ程度に見える。崩落現場で最も気になるのは、崩落面の地山斜面が大変に急斜面なことである(写真5・6が実際に近い傾斜)。
 道路脇の側壁は鉛直に近いがこの側壁の上には津山線を敷いた平坦面があり、直説A〜D部分が崩落すると、岩塊が線路面を超えて車道に達する可能性はあろう。

 Aの部分は崩落後に、まだ崩落しないで残った岩塊がぶら下がっていたので、発破によって落としたと聞く(山陽新聞)。そのままでは危険と判断し、破砕したのであろう。Aの部分の現状は、見たところ、落ちそうな岩塊はとりあえず落としたという印象で、差し当たって大きな岩魂の崩落の危険はなさそうである。
 問題なのはB,C,D(各写真に表示)で、3つとも3t以上の重さがあろう。これらのうちBが最大の塊で、Bの周りには明らかにかなり深い割れが入り(写真6〜9)、これらの割れが表面から見えないところで、どの程度広がっているかは判らないが、割れはかなり広がって、地山と続いている部分が狭い可能性が大きい。CとDも同じように周囲が割れていて危険である事に変わりはない。特に、Bが外れるとCとDは独力で持ち堪えられそうにないという、相互の間の密接な関係は見逃せない。
 現場の担当者もこの事には気づいているようで、Bにだけ楔を5本(赤い標しがある)打ち込んでいるようである(写真7・9)。しかし、見たところ楔が小さく、あの程度の補強は一時ごまかしに過ぎず、Bの岩塊(4t近い?)が浮くと、とても支えきれない。Bを浮かさない手段が必要であろう。B,C,Dが落下するとE(各写真の緑の防護柵)は全然役に立たない。そのことは先日の崩落で証明済みのはずである。


 4:安全対策の提言
 噂ではこの崩落面に金網を張る、という。もしそうなら、今後、A部分の小さな岩塊はらば崩落は防げても、B,C,Dの岩塊の崩落が防げない事は明らかである。新たな事故が発生する前に、もう少し安全が期待できる補修をお願いしたい。


 現時点での私の提言
1)





2)
 取りあえず、B,C,Dの岩塊を手動で落とす。現在の山肌は急勾配で線路に迫り過ぎているので、少しでも勾配を緩くしたい。小さな岩塊もあれば落としておきたい。
 地上に露出している岩石でひび割れのない岩体は存在しない。ホルンフェルスの岩体中のひび割れは一般的に不規則なので、現在以上にひび割れを増やさない配慮が必要である。この場合、発破で岩塊を外すと、ひび割れの拡大を誘うことがあるので、まず手動で外す事を考えて欲しい。
 新しい山肌を出しても、B,C,Dに似た浮いた岩塊が再び現れないとは限らない。もし現れても、きちんとした楔を打ち込む防御工事(現在、高速道その他で一般に施行されている工事並みの工事)をして欲しい。
以上
2005416



 (2) 6月9日の調査

  調査写真 5〜9 (前回調査分)  /  6月9の調査写真

2005年6月9日、再び玉柏北方の岩石崩落現場を訪問した。
 前回は、それぞれ3t以上もあろうかと思われるB,C,Dの岩塊の状況は、---列車を通過さすには勇敢すぎる、もっと補強した後で列車を通過さすべきでは?--- という私見を述べた。この度も何枚かの写真を撮ったので、私の感想を追加報告しておく。
 この度も道路上からの遠望のみ、壁面の上部がかなり剥ぎ取られていて、岩塊Cが以前認めたよりも大きな岩塊であるように見える。その上、Cの上端には樹木が立っているが、この根がCと岩盤(地山)との間に入っておらねばよいが。
以前と異なる景観の特徴は危険箇所の補強である。(さすがに、最初から岩塊の危険度を気にしていたのであろう。)
 補強の一つは岩塊Bの下側にコンクリート・ブロック(台)を設置していることである。
遠望なので詳しくは判らないが、想像すると(写真参照。前回の写真の一つと同じ所から撮影しているので、両者を比較して欲しい。)
 コンクリート・ブロックは岩塊Bの下位の部分の、B全体の 1/4 〜 1/5 位をブロックに埋め込んだように見える。ブロックが安定しておれば、岩塊Bは一応安定、と考えられる。ただしブロックの安定度は、ブロックの下端がどう固定されたかによる。ブロックはこの場合、急斜面の地山に載せた形に見えるし、工事の際に新鮮な岩石をどの程度掘削し露出させたのか判らないので、安定度が少し気になるが、ブロックが堅固に固定されて、安全であることを祈る。
 もう一つの補強は岩塊B,C,Dあたりの、岩肌全体を(おそらく金属製の)網で覆ったことである。岩塊Bは特に突出しているので、網がBを押さえる工夫がされている。
この網は岩塊Bの上端部を一応横のロープで締め付け、それ以下のBを覆う縦のロープを別に継ぎ足し、Bを押さえつけているようである。そして、コンクリート・ブロックはBにかけた網もろとも、上から押さえ込んでいるように見える。
 補強によって、総体的に、以前の状態よりもかなり改善されているが、どの程度安全なのかは現時点では判らない。また、JR当局が今後どの程度まで、どこを補強しようとしているのかが全くわからないので、ただ、事故の起こらないのを祈るばかりである。
2005612



 (3) 9月10日の調査

  9月10の調査写真

 2005年9月10日、3度目の玉柏現場訪問。一見してかなり補強が進んでいる。
この度、現場でまず、ブロックD付近が随分きれいさっぱりし、露岩が大きくなった印象を持ったこと、ブロックAの浮いた小さな岩片を掃除し、一面に金網を掛けて整理していることに気付いた。
 前者について写真で改めて検討すると、2度目には見逃していたが、ブロックEは2度目に見たとき、その前に見たときよりも、すでに少しずれていた(樹木に注意)。このずれたブロックEは、網掛けから外されている。この度はブロックEを剥いで網をかけ、したがってブロックDがさっぱりし、大きく見えるようになったらしい。
 ブロックAは、表面を平滑に整理し、さっぱりした。その手前の凹み斜面部分に、前回は簡単な落石防止の遮蔽板を張っていたのをコンクリートの遮蔽台に施行し直している。
全体に網掛けしたので、小さな落石は抑えられるであろう。この部分も、より安全になった。
 ブロックB、C、Dの下には鉄柵があり、これは以前の物を補強したらしい。
 
 こうして、ここの崩落現場は全体としてかなり安定化した。印象である。恐らく、この工事は一応落着した、と見る。
 現場を見ている間に上り列車が速度を緩めて通過した。JR当局はまだ警戒を緩めていないようである。
2005911


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