旭川支流河川と渓流畔林調査
は じ め に
私は昭和の一桁世代で、結構な年になった今も、小学校で唄った「ふるさと」が忘れられず、時々口ずさんでいる。 いつもその第一節だけではあるが。
“兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川
夢は今もめぐりて 忘れがたき 故郷“
田舎生まれの私にとって、故郷の昔の山里、その自然に囲まれた生家、その庭を、その周りを走り回る幼い私、その頃の懐かしい家族の一人一人が、この歌詞そのままに、脳裏をかすめる。それは正に、“山は青く 水は清き”、昔のある一時期の日常であった。
特に、山里の“清き水”と“ゆっくり流れる小川”が懐かしい。山から滲み出る水には自然界の栄枯盛衰が総括されており、これが陸や海の生き物にとってどれほど貴重なものであるかは論をまたない。山の緑は植林でも十分に美しいが、水はごまかせない。昔は、遅くとも1965年頃までは、殆どの山の中腹までチョロチョロと流れる渓流があり、一休みして口をすすぎ、汗を拭ったものである。当時は日本の何処にでも “原生林”があって、原生林を特に意識することもなかった。しかし、今は、多くの山道が消え、渓流の水は涸れ,多くの小川の水は普段は少なく、かつ、淀んでしまった。つまり、1960年頃以後に誕生された皆さんの殆どは、半世紀前の日本の自然をご存知ないであろう。
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とすれば、“自然を取り戻せ”という叫びは社会一般にどのように理解されているのであろうか。
この本の著者、高野信男さんは岡山県真庭市のご出身で、永い間、野外の地質調査に従事されたプロの技師さんである。高野さんは中・四国の山々を広く調査されながら、急速に変わって行く山里を絶えず悲しい思いで見てこられたに違いない。その思いがあるからこそ、高野さんは、第二の人生のお仕事として、故郷の山里の自然を驚くべく緻密に、総合的に、かつ精力的に調査されたのであろう、と私は思う。この本には高野さんの昔の山里に対する郷愁が一杯に詰まっている。高野さんは山里に人工物があまりにも多いことを記録し、山を荒廃させた仕掛け人(=物)を図上ではっきり指摘しておられる。
ある地域全体の自然を変えたのは人の生活である。その理由は全く多様であろうが、一般に、人は自分の生活のために、自然と共生することよりも制御することを優先し、結果として、物言わぬ自然を痛めつけてしまった。改変された自然を新しい自然に作り直すのは自然自身であって、人ではない。私たちのできることは、自然が新しい姿を創生し易いように、協力することである。それには何から手をつければよいか、高野さんが精査され、この本にまとめられた事実は、その自由な選択のための基礎資料である。ちなみに、高野さんご自身は、現在、植林の間伐とその跡に低木落葉樹の植林作業を続けておられる。
“皆さん、出来ることから手をつけて下さい”、これが私たちエコ・ギアの願いなのです。
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NPO法人エコ・ギア 顧問 濡木 輝一(岡山大学名誉教授)
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